spunky
WE WANT METS!
↑なぜか今ヘビロテで流している曲。
●大学に入って、物事を客観的にみることを知った。
知ったのはそれだけじゃなくて、それが実践するのが難しいこともなんだけど、
なぜか客観的に物事を見ることの方だけは、知っただけでなく、自分が上手くなっていってると思い、
それが難しいということは知っているっていうレベルのまま留まって、そこから成長しなかった。
物事の分別ってのは一体どうやって身につけるものなんだろう?
そんなわけで、俺は自分の客観性を過信している。それからずっと。
専門学生の頃、よくある心理テストを受けた。
性格を測るってやつで、ビックファイブとかそこらへんのやつ。
そんで俺は主観的に比べてかなり客観的だという結果が出たらしい。
その後、クラスのM君(なぜかほんとに何でもできる出木杉くん)とその話をしてて、
言われたことは、
「あれ、シンさんは直感的に動くタイプだと思ってた」と言われた。
批判的精神が身についていて、
どこぞの大学の教授が言ってようとテレビでやっていようとその内容を鵜呑みにしない俺。
そんな自負があったから、その言葉に俺は驚いた。
どうやら、信頼できる人からの言葉が頭に響く程度には、頭はイカれていなかったらしい。
直感的?俺が??
なんでそう思ったんだろ???
もちろん人間が客観的か主観的かなんてのは、
A型の人間が細かいっていうのと同じような話であって、
白か黒かじゃないし、色んな面がある。
でも、そんな話じゃなくって、俺の全体的な印象が直感的ってのは、
やっぱり意味があることだと思った。
俺は直感的なのかな?
そう考えて、思い返してみたら、
自分の専門学校での行動は感情的、そう直感で動いてきたとしか言えないようなものばかりだった。
クラスの誰かがいわれのないことで怒られてたらそれを咄嗟にかばう発言をし、
どうにもならないって冷静に考えればわかることを、どうにかなるんじゃないかって思って、
信頼とかいう言葉で、勝手な期待を押し付けて誰かの行動を予測して....。
そう、専門学生時代だけじゃない。
大学に入って勘違いしただけで、
俺は小さい頃からずっとずっと、ものすごく感情が強く、それに支配されることが多かった子じゃないか。
中学の頃の俺を知る人なら皆が口を揃えて主観的だと言うだろう。
そうなんだ。
そんなわけでとても主観的な俺は、大人になってからも自分を過信して冷静じゃない判断をいくつもしている。
兄貴の問題はどうにもならないのに、どうにかなるんじゃないかと思って動きまわって、
家族の問題はどうにかなるって思って動き回って、
そんで...
今回は、とても大切な人との付き合いがなんとかなるって思って、
自分なら、この人となら大丈夫だって思って、思おうとして、また頑張ってしまった。
I've learned a lesson.そう思って、もっと冷めて、もっと大人になって進めば良い。
だけど、先輩との付き合いや、大切だと思う人たちとの精神的な繋がりと、
その先にあるんじゃないかって思うもの以上に大切なものが考え付かなくて、
俺は今度はこの先に進む理由を見失う。
誰だ、俺に性的快楽なんて教えたのは?
誰だ、俺の外見や優しさを褒めるのは?
誰だ、俺が何か持ってるっていうやつは?
気持ち良すぎて、勘違いしてしまって、俺はこのつまらない世界から抜け出せなくなる。
こんなクソみたいな世界なら、別にいたいとも思えないのに。
自分の感受性くらいって、茨木のり子さんは言う。
そうだ、その通りだ。
全部自分で招いたことだ。
先達はみなつまらない話をする。
その中で、俺に、未来になんだかの期待を持つことがまたできるんだろうか?
持てたら、きっとすごく楽しいだろうな。
どうか、俺の自尊心と勝手な期待によって生まれた失望が、
誰かを悪意を持って傷つける力となりませんように。
...もう力にはなってるか。
なら、どうか心の優しい誰かを傷つけることがありませんように。
どっかで誰かに止めてもらえたらなんてムシの良いこと、
いま考えている俺です。