今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

10年。

 小野不由美の「丕緒の鳥」を読んだ。
正確には収録されている短編の一つ、「落照の獄」を。

 ルーチンワークを出来るだけ効率的にこなしていく。
私の選んだ仕事の性質上、仕方のないことだが、
普段自身がいかに物を考えずに生活しているかを感じる。
この考える力はおそらく将棋や言語のように、ある程度まで突き詰めれば自身の能力として定着するのだろうが、
そこまで行かなかった者の能力が損なわれることは容易く、湯のようにすぐに冷めてしまうものなのだと思う。
もちろん、身体能力だったり筋肉のつき方だったり、話を作る能力だったり、
多くのものを求めてしまう俺は。それらの中から選ばなければいけない。
俺の体力・気力ではすべてを手に入れることができない。
だけど、これは優先順位の高いものなのではないかと思った。


 今回の話は、司法についてだった。もっと具体的には、刑法について、死刑の是非についてだった。
話を読み終えてなぜか思い浮かんだのは、自身の愚かな考え方について。
幼い頃、正義を行いたいと強く願った私は、世を少しずつ知るにつれ、
正義とは何をすることなのかわからないことに気づいた。
これはとても皮肉なことだと思った。滑稽なことだと思った。
そして...その後には何も続かなかったのだ。
正義を行いたいと願い、正義が何かわからないことに気づき、そして正義とは何であるかを模索する...
文にすればこれだけ簡単な3番目のことを私は行わなかった。もっと滑稽なことがそこにはあったのだ。
正義とは結論が出ないことだと決めて、考えることを辞めてしまった。
模索することを辞めながらも、様々な考えに触れて辿り着いた結論は、人の世界は弱肉強食で、
強い者たちが思い描く理想を掲げて、そこからルールを作り敷いて...弱い者たちに強いる。
故に世に正義などなく、力の強さがすべてなのである、と。
とても単純だが、これを振りかざすことによって私は自分を守っている。
何から?たぶん、人の道とは、この場合の正しい判断とは...とか、そういう類の難しい話から。


 「落照の獄」はファンタジーの話であるが、登場する世界には法が敷かれており、
法治国家の日本とそれほど変わらないと考えられる刑法が存在する。
正義など存在しない、などという稚拙な考えではなく、絶対的なものなど存在しないことを当然とし、
それでもより良い選択をするために苦悩する国の高官たちの話は、
私を動揺させた。
いや、知ってたよ。ベストなことがあるわけじゃない。いつだってベターなことを探して多くの人が苦悩してる。
そしてよりベターであるために、たくさんのことを学び、考えるんだって。
そのために日々奮闘しているんだって。
知っていながら、そういうことから目を背けていた自分がいたから、
それを読んで動揺した。ただそれだけだ。
いくら自分の一番好きな小説家の話であっても、読んだからといってすぐに私の行動が変わるわけではない。
でも、なんだか、やっぱり胸にしこりのようなものが残ったから、
それを取り除けるよう少しは努力したいと思う。



 ●10年と書いたけど、ほんとは7年くらい。
日本に帰ってきてからの時間だ。
カナダから持ち帰ってきたものは少なく、帰ってきた当初は友人と会って話すだけのお金すらなかったため、
帰国することを多くの友人には伝えずにいたくらいだった。
インターネット環境がなくて、就活するにもスーツがなくて、
自分の持っているものなど数えられたと思う。
それから7年。
周りを見渡せば、自分に足りていないものばかりが目に入り、
友人たちから遅れていることに焦り、
今の自分が何の能力も持っていないことから、未来の自分へ絶望する。そんなことが多い。
だけど、一週間ほど前から少し体を病んだ私は、今日はゆっくり過ごすと決めていて、
実際その通り本を読むほどの余裕を得た。
そうして冷静に周りを見渡せば、
家の外には車が停まっていて、
自分は家族と大きな家の中にいて、
使えるかは別として、部屋にはたくさんの服がかけられていて、
生活に不必要な音楽器材があって、
夜には職場の同僚たちとの予定がある。
顔は老けていくばかりだが、顔を合わせれば良く言ってくれる人が増えている。
何より、大切な友人はまったく減らなかった。
さらには、欲望も胸の中にひっそりとある。


 7年間ってのは、長い時間かな?
7年間あれば大抵のことができるのかもしれない。
でも、力が弱い俺にとっては、7年間ってのはそんなに長くない時間であって、
その期間のうちにゼロからここまできたことを考えると...
頑張ったな、俺。...って、そんな風に思う。思える。


 昔ここに書いた気がする。それともあれはtwitterかな?
あれはたった一度だけカウンセリングを受けた時だったか。
俺は、ちゃんと冷静にゆっくり考えれば答えを導き出せる、みたいなこと。
答えってのは大袈裟だけど、自分に納得のいく判断ができる、と思う。


 まぁーつまるところ、時々はゆっくりしようと。そういうことで。