証はない。
考えてみると、小さい頃から俺らはディフェンス・メカニズム的な?
酸っぱい葡萄的な?ものが働いて、
本当は欲しいのに、
欲しくないって自分に言い聞かせてきたものってものすごくたくさんあるんじゃないかって思う。
それはとても単純な欲求で、
"明日発売される話題の、高いゲームを買って友達に「すごい」とか「いいなぁー」って言われてたい"
レベルのことが多いんだと思う。
そういうものは、社会的に「くだらない」とか「小さい」とか言われて、
もっと高尚なものを目指すようにいつの間にか促される。
そりゃー自分でつまらないと感じて、より高いものを自ら目指す人もいるだろう。
だけど、なんとなくだけど、社会的に促されてる部分が強いと俺は感じてる。
何にしろ、小さいたくさんの欲求は、自分の中でなんとかする。
欲しくなかったことにして、潰していって...そうやってなんとか自尊心を守って、
俺らは大人になっていく。
だって小さな欲求なんて多過ぎて、それらを叶えられないからって、
いちいち落ち込む時間は俺らにはない。
でも、俺がみる限りでは、
この欲求を「自分の中でなんとかする」っていう作業が下手な人たちがいる。
周りをみててそう思う。そんで、俺もそのうちの一人だ。
自分を騙すことが下手で、欲しいものを得られなかった経験が、
頭の中に積もっていく。積もっていって、結果、自尊心が低くなる。
ほんとにつまらない欲求なのに、それを「くだらない」と一蹴できないんだね。
もしくは、できてると自分では思っていても、無意識にそれはマイナスの力をもって頭に残されていく。
さて、最近あったのは、
そんなくだらない欲求が解消される出来事。
それはおそらく小学生の時から抱えてきた欲求。
「違う。俺はそんなん欲しくない。もっと深いものを。高いものを。輝くものを。」
中学生くらいからそう言って、それ以外のものに目を向けるようになった。
でも、その欲求はいつもそこにあったんだ。
中学の時は目の端でクラスで一番可愛いって言われてる子をいつも追いかけていて、
高校生の時、俺の近くにはさやかがいた。
大学のある夏ではナツミちゃんを好きになった。
自分を変えようとしたけど、実際はそんなに変わってなくて、
結局いまこんな状況にある。
でも、昔と違って今は悲観はしない。
むしろ、自分を褒めてあげたい。
力を抜いて、しなるようになった。
許せるようになった。
軽くなった。
その結果、思わぬところで自分が一生得られないと思ってた体験を得た。
いつの間にか30歳で、
もうこんなこと同年代の友達はずっと昔に通り抜けてきているんだと思う。
だけど俺は、まだだったから、
それに通り抜けられるなんて思ってなかったから、
ただただそれが嬉しいんだ。
何かの試験や大会じゃないから、
結果がハッキリと残るわけじゃない。誰かに表彰されるものでもない。
でも、頑張った結果得られたものに違いはない。
証はないんだ。
だけど、自分の中で似たようなものを形成して、記憶に留めておきたい。
いつか、ではなく、今日、今この瞬間のセルフイメージに反映して、
強くあれるように。自尊心を高く保てるように。
最後に、何よりその体験をくれる助けをしてくれた友人たちに感謝を。