今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

コエノカタチ

 “男はあーゆーカワイソーで無口な女に弱いって”


 いやー、素敵なセリフだこと。



 『聲の形』ってマンガで読んだ。
いや、まったく上のセリフの通りで、
男はか弱い女の隣にいることで、自分が大きくて強いと自覚しようとする。
小さい子は需要あるよね。細い子好きだよね、みんな。

性別にこだわらない。男が強くなきゃいけないとか、
女が口悪くちゃいけないとか、そーゆーの嫌いってスタンスなつもりでいて、
俺はほんとはすごいこだわってる。自分が男ということを意識してる。
意識しているからこそ、反発として「性別に対する偏見」を強く意識する。
俺はまぎれもなく阿呆なオス共の中の一人で、か弱い女の子が好きだ。

 でも同時に、強い女も好きだ。
それはとても単純に自分が弱いから、憧れるんだ。
弱いから、励ましてもらうこと、その強さに引っ張ってもらうことを期待して、
近くにいたがる。


 なんとなくこれは、友達の言ってたことに似ている点があると思う。
男は女を聖女としてみるか、性欲の対象としてみるか、
要するに極端に上か下かでさえ見れない。対等の人間として見れない...みたいなこと。

 俺は、これまでそういう意味でちゃんと女と付き合ったことがない。
上にみるか、下にみるか、そのどっちかでしか見てこれなかった。

 別に落ち込みたいわけではなくって、
ただ、もう少し成長して、
誰かと対等に付き合っていきたいなって思う。
もちろん多少の憧れや、同情は混じってしまうと思う。お互いに。
バランス良く、ってことなのかもしれない。




 ●前回の日記で、俺は称賛が必要だって書いたけど、
一昨日友達と話してみて思った。
もしかしたら、称賛まではいかなくとも、
誰かに自分の思ってることを聞いてもらうこと、ってなレベルでも大丈夫なのかもしれないって。
過去を振り返ってみて、自分のメンタルが安定してた時必ずあったのは、称賛ともうひとつ。
真剣に話ができる相手だった。

 いつからか俺は自分のことを話すのが怖くなってしまった。
心が広いフリして、ほんとは自分の納得したことしか許せないから、
とても多くいた(と思われる)友人たちの大半とは疎遠になってしまった。
多くの人に自分の意見を理解してもらえないからってことももちろん理由としてある。
もしかしたら、世の中の大半の人は俺みたいなもんで、
大人になれば付き合う人の数がだんだん減っていくのかもしれない。
何より忙しいしね。

 ハードルは、こういったことに関してなら低いに越したことはない。
称賛とまではいかなくても、話を聞いてもらうことなら今の俺にもできるかもしれない。
欲しいんだったら、ちゃんと手を伸ばそう。
怖いながらも、なんとか手を伸ばそう。


3月のライオン』の島田さんみたい。
怖いながらもとおりゃんせ。とおりゃんせ。