今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

年を取って。

 ●過去を振り返ると、恥ずかしいことばかり。
物事を少しは客観的に見れるようになった、と思ってからまた数年後、
自分はどれだけ浅はかで無知だったのか、自己中心的な物の見方をしていたのか知る。
じゃあ今の自分を数年後の自分が振り返って、やっぱり同じように思うのだろうか。
今また自分は、「物事を客観的に見れるようになった」なんて思ってるけど。


 自分のことを振り返ってみると、
単純にバカだったと思う。今もバカなんだけど、昔は今以上ってことで。
一体どれだけ思い上がって鏡に補正をかけていたんだろ?
俺の昔からの友達は、なんで俺が今こんな不安定な状態になってるか不思議に思うのかもしれないけど、
今だから思うことは、これは当然の結果だってこと。
なるべくしてなった。想定の範囲内ってか、予想ズバリ的中ってなもんだ。
15年前兄貴を蝕んだものが、たまたま俺の中では成長速度が遅かっただけだ。
兄貴みたいになるのなら、ってか今の自分でも十分、いらない。
こんな自分でありたくない、なんて思ってしまう。
...こんなところも浅はかというか、極端なんだろうけれども。





 ●さっき駅から家に歩いて帰る途中、ふと気づいたのは、
俺はこの年になっても、他人と自分を切り離して考えることが上手くできないのだということ。
いや、そのこと自体はもちろん知ってたけど、それが原因でいっつも心半分はdepressedって状態なんだってこと。
なんか世の中のことを知れば知るほど、嫌になってくる。
俺の見方が悪いのかわかんないけど、少なくとも良いことと悪いことが同じ割合で見えてくるわけじゃない。
悪いことばっか見つけてしまう。良いことは世の中に限られてるって、そんな気がしてしまう。
そんで俺は他人のことを切り離して考えられないわけだから、
自分の状態が良くなっても楽しい気分にあんまりなれないっと。そんなこと。




 ●もういっちょ過去を振り返って気付いたことは、
俺は単純だから、他者から認められると、つーかもっと単純に称賛を受けると、やる気が出るということ。
逆に他人に認めてもらえなきゃ、おなかが空いて力が出ない状態のアンパンマンだってこと。
ニード論で言えばまぁー当然っちゃ当然なんだが、
俺の場合は特にってことやね。
必要だってわかったなら、得ようとするしかない。
どうせ他のことはそんなに気持ち良くないのがわかったから、
少しずつでもそっちの方に進めるように努力していこう。


他人から称賛を得るため努力。
だっせー。
でも、しょうがない。掘り下げてみたら、こんなものしか出てこなかったんだから。