不幸自慢。
やるなと言われても、人はどうしてもしてしまう。
“聖書”って言ったらなんだか盲目的に信じてるようで語弊があるけど、
自分の生き方の指針となるような本に諭すようなことが書かれてあって、
それを読んで心を入れ替えたつもりになっても、
結局またしてしまう。
完全な年金生活。
兄は無職で、出費はたぶん今までのまま。
唯一元気と思われた母は、
最近よく昼寝をする。
模範的なプロテスタントみたく働き者だった母も年齢に勝てないのだろうと思う。
この調子で俺は3年間学校に行けるのだろうか?
奨学金を借りてでも、要するに借金してでも行くつもりだけど、
それ以上の事態が起きたら?
連帯保証人。
無職。
認知症。
病気。
不安は尽きない。
不幸自慢ってのは、対象がいなきゃできない。
俺は自分の状況をどうしても周りに比べてしまうんだ。
周りの人間は...なぜかとても楽そうだ。
同じ年のヤツらは就職して、
稼いだ金を好きなように使って、
親に心配されることがあるようでも、親を気にかける言葉は口から出てこない。
休日に車でどこへでも行ってくれ。
『なんで俺だけ?』
努力は豊かさにつながるという話が嘘なのは知ってる。
もうずっと前から。
だけど、頑張ったら頑張った分だけの何かを期待してしまう。
だって、多くの物語はハッピーエンドだろ?
主人公はちゃんと何かを得られるじゃないか??
俺は頑張ってる。
だいぶ前から突っ走って、結局今も走ってて、
死んだような顔になっても、まだ走ること考えてて...。
だけど、時間さえ買えない。
これが現実だ。
こんな俺と真面目に不幸比べがしたいなら、どうぞ。
俺より楽なやつはたくさんいるよ。
そんで、俺より条件がクソ悪いやつは、たぶんもっといる。
その中に文句言わないで黙々とゆっくりでも走り続けるやつらがいる。
忙しい生活の中で小さな幸せを大切にして、噛み締めてるやつらが。
結局さ、やっぱり不幸の量じゃ俺の気持ちは正当化できねーんだ。
そんで、それで良いんだ。
俺は持ってるやつを嫉むし恨むけど、
俺はこんな自分で良いと思ってる。
鈍感で人を傷つけるより、
敏感で傷つきながらも人を理解できるようでありたいと思う。
純粋で黒いやつに手を差し伸べるんじゃなくて、
その黒さに共感できる自分でありたい。
持ってるやつはムカつくが、
持ってないことが多くて良かった。
まだ走るのか。
もう正直げんなりだよ。
もう走りたくねー。
ベットの上で本を読んでいたい。
でも、こういうもんなんだと思う。
“みんな頑張ってる”っていう言葉は安っぽいけど、
使う人によっては、その言葉には自戒とある種の覚悟を含めるんだと思う。
文句も愚痴も増えてくかもしんないけど、
俺はやっぱりこの道で行こうと思う。
“歩けない世界の9秒台。”
俺の今いる状況での9秒台は存在する。
どんなもんかわかんないけど、たぶん気持ち良いんだと思う。
だったら目指すしかないだろ?
疲れてても、かっこ悪くても、目指すしかない。