今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

うすい。あさい。

chocoan2011-04-03

 周りにいる人たちの日常会話を薄い・浅いと考える。
そういう人は多い。
そのいう人たちは単に協調性という能力が低く周りに馴染めないでいるのか、
あえて自分と他人を隔て、孤立であることの優越感を保ちたいのか...わからんが、
俺の場合、たぶんただ単に...
その会話の先に厚く深い交流があることに気づかず、もしくは知っててなお、
どうでも良い話に我慢できずに、席を立つのだと思う。


...もう少しだけ、座って待てよ。
しんデス。





 ●休みは意外と充実してる。
少なくとも、そんな気はしてる。
苦手なことに背を向けてる気もしなくもないのだが、
客観的に考えても今はそっちに手を焼いても仕方がないのだから良いのだ。




 家事全般をこなせるようになりたいと前々から考えていた俺なのだが、
実家で料理したり洗濯したり掃除したりというのは気が引けていた。
ただ単に慣れていないからだと思う。
一人で暮らしてた時は面倒でもてきぱきとやっていたのだから。
それに、一人で暮らしていたとき、他人にキッチンを使われるとき、
なぜか嫌な気分になったのを今でも憶えているから。
主婦にとって、キッチンはテリトリーなのだ。
いや、テリトリーを通り越してサンクチュアリなのだ。
...俺は主婦じゃねーけど。
でも、料理が不得意ながら色々考えて道具やら材料やらの配置を考え、
不足ながら少しずつ勉強し身につけた知識で衛生面などに気遣っていると、
やっぱりその空間は自分のものになる。
他人にズカズカと入り込まれたくないのだ。


家でも父親がキッチンで、やれ鍋の場所がわかりにくいとか、
フライパンの手入れが悪いとか、そんな文句を言ってると母親は不快な顔をする。
当然だと思う。
だからこそ、今まであんまりキッチンに踏み込んでこなかった。
皿洗いだけは許される行為のように思えたので、
今までは買い物の付き合いと皿洗いだけが俺の手伝うことだった。


が...。
料理は少しずつでもできるようになりたい。
母親にとって迷惑でも、それでもできるようになっておきたいのだ。



 カナダにいた頃、日本人の女の子の友達に向かって、
“料理ができなそう”(失礼。)と冗談で言ったことがある。
その子は“料理くらいできるよ〜!”と言って、
30分くらいかけて野菜を切り、
なぜか2時間くらいかけてカレーを作ってくれた。
対照的に別の子は料理はちょっとならできると言い、
冷蔵庫にある具材でスープ的なものを10分もかからず作ってくれた。


一人暮らしをしてた頃、俺は面倒でいっつも同じようなものを作ってた気がする。
ラーメンだったりチャーハンだったり、チキンライスだったり、パスタとか麺類全般。
たまにコロッケやらトンカツやらドリアやら作ったけど、
無駄に時間をかけてた気がするし、
他人を養えるレベルではなかった。
養えるレベルってのはどんなもんかわかんないけど、
漠然と短時間で毎日違うメニューを効率よく作ることだと俺は思ってる。
要するに、さっきの後者の女の子のようになりたいと思うのだ。
料理ができるようになりたいと言っても、
お洒落なものが作れるようになりたいわけではない。
たぶん俺は...主婦の料理を作る能力が欲しいのだ。



 というわけで、主夫になるべく修行を開始している。
材料の値段を計算したら、
家にあるホームベーカリーを使えば市販のパンより安くパンを作れるということを発見した俺は、
もうすでに学校に持っていくお弁当を作る!という当初の目的から逸れてパンを毎日作ってるのだが、
少しずつ色んなことができるように頑張っていくつもりだ。


 この行動の根底には、“好きな娘を養ってあげたい”というよくわからん心理が働いてることを気づきながら。