今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

屍鬼

 そこに一種の正しさを見つけたら、それが常軌を逸した行動であっても踏み出すと思われる人っている。俺だ。
しんデス。


 ●見つけているのかもしれないけれど、
俺には他人の痛みや不安、恐れや疲れを想像できる力がある。
そして、踏み出したことによって社会がどのようにして俺の急所を打つかも予想できる。
失くそうと思ってなくせる急所は急所と呼ばない。


...やっぱり、踏み出しそうなだけで、踏み出さない。
踏み出せないのだ。




俺の心の中には
“俺はまだ本気出してないだけ”のような甘さがあるんだと思う。
踏み出さないんじゃなくて、踏み出せないのだ。
足枷は家族ではない。外部にあるのではない。
俺の中にあるのだ。






 ●ホラー小説というものを勘違いしてました。
俺はてっきりどれだけ読者に恐怖を与えるかということを追求するものなのかと...。
陳腐なホラー映画を見て勝手に勘違いしてたんですね、俺。ゴメンなさい。


 俺の中の世界はとっても小さくて狭い。
と思うのは、外の世界が広くあって欲しいという期待によるものなのかわかんないけど、
今までみてきたものや経験から考えると、きっとそうなのだ。
そんな小さくて狭い俺の世界ってのは、要するに俺なりの人間の理解ってのと同義だと思う。
人間はこういうものだっていう見方が俺と一致する人はあまり周りにいない。
教科書や小説、映画、アニメ、雑誌、人との会話...学べば学ぶほど、反比例して一致する人が減っていった気がする。
だけど、ホラーという俺が今まで触れたことのなかったジャンルに分類される“屍鬼”っていう小説の中に一致をみた気がする。
一致どころか、小説は俺の考えのその先に何があって、具体的にそれはどんな考えなのかを教えてくれた。


 ブックオフで100円で売られてた上下巻で1000ページを超えるホラー小説にドキドキする自分。
やっぱり俺の世界は狭いのだ。
手を伸ばせば、狭い世界に奥行きがあることを知るんだ。