今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

友達。

 わかってるけど、認めたくないものなんてたくさんある。
しんデス。



 ●たとえば、心理学専攻で、
日本の経済のこと社会のことまったくわからず、漢字もわからずに、
貿易関係の会社を受けたり。
カルピス好きだから、カルピス受けたり。


 落ちたのは不景気のせいかな?
理不尽な社会のせいかな?
認めたくないけど、
バカな自分のせいだよね。






 ●親父と社会学部卒の進路について考えた。
社会学を学んで、それをどう仕事に活かせば良いのか。
うーん。
社会学の焦点はわからんが...


社会の仕組みやその問題点について学ぶ。



社会の問題点ってことは、弱者に焦点が当たることが多い。



弱者の立場がわかる。



役所?




 最後のとこ、なんか飛んだけど、笑
階層とか不平等とかについて知ってたら、
役所とか良いのかなって思った。
まぁーでも、知ってるからって何かができるような気がしないのは、
政治や役所の仕組みに俺が絶望してるからなのか...。
とにかく、役所の仕事がよくわかっていないシンです。




 ●社会学を学んだからと言って、その受け皿がない日本。
これは日本だけじゃないと思うけど、それは置いといて、
それは何が原因なんだろう?
そもそも、受け皿って用意されてるべきものなんだろうか?
あの大学では新しく総合政策学部ができたらしい。
社会全体を全体的に様々な角度から診る。
...なんかかっこいいから入る。
理想を学び、いざ社会に出て行こうとして、
自分が学んだことを活かせる場所がない。
受け皿がないなんて、日本の社会は遅れてる。
自分は今まで頑張って勉強してきたのに...。
俺は色んなことを知ってるのに...。
なんでこんなことも知らない奴が、
勉強してこなかった奴があんな良い会社のあんな良いポストにいるのか...。
理不尽だと思う。


 心理学部出身も一緒。
たぶん他にも似たような学部がたくさん。





 ダサいけど、
俺らは活躍する場所は用意されているものだと思ってることが多い。
フィールドとボールが与えられ、自分はそこでプレーする。
それを当然のことだと思う。
だから、例えば教育関係の話だと、


若い教員を育てるシステムが作られていない。
これでは高い志を持つ若い先生が育ちようがない。


ってな考えになる。
心理学を学んだ者として、これを認めざるを得ない。
環境が個人に与える影響は絶大なものだから。



 だけど、理想を語って良いのなら、
若い先生は、なんとかのし上がっていって、
いつか新任の先生が働きやすい環境を教育の場に作るべきだ。
そんで心理学部卒は役人になって、
臨床心理士を国家資格にするとか...さ。
社会学部も同じだ。
そういうことをせずに、
しようとも考えずに、
社会の仕組みを批判するだけなんて、
本末転倒なんじゃないかな?
もちろん、この学閥社会を上がって行って社会の仕組みを変えるなんて大変なことだと思う。
だけどそれも学んで知っているはずだ。
試しもせずに、自分のできることとできないことの間に引いているその線は、
論理的な思考の上で引かれたものだろうか?
怠惰で臆病な自分の感情から来るものではないのか?



 その先に未来がないことなど、
その学部に入学する前に知っているべきだ。
情報収集ってのは、
少なくとも皆に平等に与えられる機会だから。
認めなくちゃならないのは、
自分が『理想』だけを学んでいたということ。
自分は、社会を理不尽だと考えようと、
それを変えるための努力まではする気になれないということ。
そして、
社会が理不尽だってことを前提として捉えられなかった俺らが、
幼稚でナイーヴだったってこと。



 学生時代、教授が面白いことを言っていた。
『興味深いのは、
アメリカのヒッピー世代が今は権力のある歳になっているというのに、
社会は何も変わらないということだ。』


 富裕層が変わらないから?
それとも、若い時社会が理不尽だって叫んでた人々が、
戦うことを途中で諦めたから??
それとも、成り上がっていくことは不可能なのか?







 マンガやドラマ、映画でカタルシスも良いけど、
ここで何かを変える気はないの?
かっこ悪いね、しん。