今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

せぶん。

 七つの罪って言うけど、少なくとも俺はそのほとんどの罪を持つような気がするんだけど。
しんデス。



 ●完璧な楽しい時間を求めるのは子どものやることかもしれないけど、
満足することを知らず、幸せをひたすら追い求める俺らは、
そういう意味で子どもなのか、それともただ単に時代の流れなのか...。


こんなこと言えば、色んなことをさらけ出すみたいで嫌だけど、
本の中の世界の方が楽しいと思う。
もちろんパソコンの中でも良い。
テレビの中でも。


完璧な時間ってのは、きっと短いものだと思う。
(...それはエピネフリンが出続けないから?)
人間は慣れてしまうから。


だから、ずっと幸せであり続けることなんてないと思う。
だからこそ、現実よりもその幸せが訪れるまでのスパンが短く、
幸せになった後の世界が描かれない、
もしくは、幸せになった後もその幸せを脅かす出来事の続く物語に人は魅かれる。


俺はまだ若い(青い)からか、ずっと続く幸せの形を見たことがない。
そりゃー楽しみ方は人それぞれだけど、
俺はすぐ打ち止めになる楽しみ方しか知らないし、
そこから先の幸せを頭で理解できたつもりでいても、
実際に満たされることはないのかもしれないって感じてる。


足ること、清貧...そんな言葉を目標に掲げていようと、
心の底では実際は宝物を掘り当てたいって思ってる。
んで、
宝物の存在しない世界ならいらないって思ってるのも、事実だと思う。
だから義務を果たしたらいなくなろうなんてことを考えるんだ。


Mery Pipherの本を読んで、
世界を好きになって、人間を好きになって、そのために何か出来たら良いなぁーって思った。
だけど、俺は結局世界や人が好きになれないみたいで、
理想のイメージはいつも何かをしている自分。
他人に何かをしてもらって、借りだと考えたり、恥ずかしいとか考えたり、悪いと考えるのは、
いつも自分が何かをしてあげたいって思うからだ。
それは傲慢以外なにものでもなくて、
もちろんそんなきっかけでも何か結果的に良いことが出来ればとは思うんだけど、
自分の本質を綺麗なものだと、輝いてるものだと信じてた者としては、
やっぱりちょっと落ち込んでしまうんだよね。




あれ?
続く幸福について書くはずが、いつの間にかいつもの場所に迷い込んでる。
楽しい瞬間がずっと続く、そんな幸せのイメージを抱く者にとっては、
最初からぶつかる疑問。


ずっと続くことなんてあり得ない。


特に飽き易い俺なんかは、もう諦めて、
探すことすらしなくなっちゃってる。



だけど、それを知っていて、俺の好きな二人はどんな決断を下すのか...。
小説を読んでいて、そんなことを考えました。


自分では幼稚な悩みだと思っていたのに、
意外なことに、頭の良く回る二人もそこに関係を塞き止められたから、
ちょっと安心した。
いつもながら、こんなこと考えてるのは俺だけじゃないんだって思った。
きっと物語の先には、作者なりに出した答えが待っている。
もしかしたら、それは俺も納得できる答えなのかもしれない。
だから今夜は寝る前がとっても楽しみだ。
期待で、
今日ベッコベコにしちゃった胸を膨らませよう。