今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

旅の途中

 グルグルみたいな旅がしたい。
しんデス。


 ●今日はゴミ箱の掃除から一日が始まった。
久々に一人暮らしの気分に浸り、なんだか調子良い...はずが、
気持ち悪い。
ということで、せっかく一日中時間あったのに、
ゴミ箱掃除とクリアケース内の整理とかしかできなかった。
他にはああちゃんのとこへ行って散歩に行ったけど、
それはまぁーいつものことだし...。



夕方になって体調が回復した、と思ったら、
田舎に帰ってるおばあちゃんから電話。
一週間か十日くらい帰ってるはずが、もう帰ってくるとのこと。
お母さんの考えてることは伝わってなかったのだろう...。
普段引きこもってるし、もう歳だから旅がだるいってのもわかるけど、
結局家の片付けは昨日一日だけで終わり。
明日の朝、おばあちゃんが帰ってくる前にもやるつもりだけど...。



まぁー昨日のうちにお母さんとキッチンをだいぶ片付けられたから良しとしましょう☆
...とさっきお母さんと電話で話した。
にしても、日本に帰って来てから、
お母さんと長く一緒にいる時は決まって何か片付けをしてるなぁー...。
たぶんこれからもそれは同じ...。




これからは少しずつ、
少しずつ、料理の回数を増やしていこう。
キッチンは使いやすくなったし、
おばあちゃんの作業する回数も時間も減るかもしれないけど、
会話は増えるだろう。
出来ればもっと頻繁に将棋もしよう。



 ●倫理の話。
『自分さえ良ければ良い。』
...というと、聞こえはもの凄く悪い。
ただ、みんなどこかで線引きはしてる。

例えば、ゴミをちゃんと分別するとか、
とっても大切なことだし、募金をするのもそうだ。
だけど、自分や自分の家族以外の人たちのために、自分から出掛けていって何かする人は、
もちろん少ない。



最近わかったことは、人間には限度があるということ。
それは体力的なことでもあるし、
精神的なことでもある。
あんまりたくさんのことが出来ないんだ、俺らは。
だからとりあえず、最低限、自分の生活を守ろうと思う。
なんとか自分を、そして自分の家族を守ろうとする。
これが最小単位であって、
みんな自分の家族をそれぞれ守っていれば、
守ることが出来れば、理論上はみんな幸せになれる。
たぶんこれが前提1だ。



前提2は、さっきのやつ。
俺らの限度だ。
例えば経済的な面で考えてみたとして、
俺らはみんなを助けることができない。
助けられる人の数には限度がある。



適当に書いてるから上手くまとまらないけど、
この二つの前提を盾に、
人は甘えている気がする。
どの生活をもってスタンダードとか、
“十分”というのかわかんないけど...
不十分だと俺らは言って、
今以上を求める。



普通に生活してる分には、
家族をもって、家族のためにお金を使う分には責められない。
むしろ立派だと思う。
だけど、
やっぱり家族のためっていう言葉で何かを隠してるような気がする。
自分さえ良ければ...じゃない。
自分以外の人のためだから。
だけど、輪がちょっと広がっただけで、
実際はあんまり変わらないんじゃないだろうか?
思想の違い、それはもちろんある。
何が正しいかは俺には言えないけど、
自分の家族に向かって、
他人のために、私達は我慢しましょうって、
そんなことが言える、そんな家族だったら良いかなって、
俺はそう思う。





 ●好きな人...と書くと、なんだか勘違いされるみたいなので、
好きな友達と書きましょう。
好きな友達と国立を歩くのは幸せだ。
安心して、疲れとかを気にせず歩きまわれる。
食べ物が美味しい。
寄り道ができる。

未来がちょっと楽しみだ。







あ、そういや、
プラネタリウムに行きたい。

そしてもっと唐突だが、
絵を描くのがマイブームになりそう。

そしてまだ続く。
誕生日プレゼントに教科書が欲しい。
2万円くらいの。

そしてそして、
...カバン買わなきゃ。