今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

unrequited love

chocoan2009-05-02

 チェック柄が好きなのはなぜ!?しんデス。



 ●ソクラテスだか誰だか哲学者が、中くらいが良いって言ってたような気がする。
仏教だか儒教の中庸とはまったく違う概念で、
もうこれは単純に、何事もほどほどが良いのだということなんだけど...。
中程ってのは難しい。当たり前だけど。

昨晩のぞむと話してて思った。
似非科学かどうか判断する基準ってのは確かにあって、
それを俺らは大学でも本からでも習う。
その重要性はきっと...あんまり多くの人が理解していなくて、
実践したり応用したりする人はもっと少ない。
...もし使っていたとしても、適用するとことしないとこがある。
目をつぶって、無条件に通過させる物事もあるんだ。

...これは科学や論理を重んじる人なら、許されるべきじゃないのかもしれないけど、
逆にもしそれが許されないのなら、
そこに信仰も神もいないことになるんじゃないかな?
むしろ俺らの考えとかも含めて、世界の色んなことに矛盾を感じるはず。
感じるってか、矛盾を理解するんだと思う。
目をつぶらないで突き詰めていったら、きっと俺みたいに失望するんじゃないかな?
それとも他に道があるのかな??

科学をちょこっとでも突き詰めていったら、
俺らの自由意志ってのは簡単に否定されるはず。
そういうものを否定されて、
人は何をするんだろう?何をすれば良いんだろう??
だから、結局は、
人はどこかで線を引いて納得するしかないんじゃないのかな?
『これはまぁーとりあえずこうあるべきで、こっちは違う。』
ってな具合に。

要するに妥協なんだけど、
俺も妥協しなきゃいけないんじゃないかって思う。
真実...って言葉は大袈裟だけど、
本音と建前みたいに、
実際と精神的なものは分けないといけないみたい。
例えば、
努力して成功するとは限らない。だけど成功するやつはみんな努力してる。
...とかさ、
真実じゃないんだよね。
成功ってのは抽象的だけど、
まぁー相対的にあんまり努力しないでお金持ちーな人はたくさんいるわけだ。
だけど、そういうことを考えてると、なかなかモチベーションが上がらない。
もう一つ、例えば、
中学生とか高校生くらいの子の、
「世界を変えたい」って想いはとっても強いんだと思う。
だからセカイ系の小説でもマンガでも、共感をたくさん得る。
自分の行動一つで何か大きなものが変わるって考えれば、
なんだかやる気出るよね。
だけど実際は...多くの場合、違う。
もちろん確率の小さい数字を見るか、大きい数字を見るか、
それはその人に選択の余地があるけど、
それをちゃんと見つめてる人と、
見つめていない人は違う。

宗教の信者は、
同じように分けて考える。
祈りや願いを聞き届けてくれる。何か力が作用する。
祈りや願いってのは当然人の頭の中で発生して、
そしてその中にステイする。
外へは作用しない。
だけど、科学者でもそれを信じる人はたくさんいる。
科学と神を両方信じられる。

正直な話、それはずるいと思うし、
言わずもがな二つは矛盾するんだから、おかしいと思う。
だけど、
もしかしたら...
それは必要なものなのかもしれない。と今日思った。
生物学的に、人は生きるように設定されているなら、
考えを変えてでも良く生きられる方を人は選ばされるんだと思う。

それを知った上で、俺は...
やっぱりどうすれば良いかわかんないけど、
もうちょっとだけでも、
精神論が好きな友達たちの想いや考えを、
もう少し受け入れられたらなぁーって想う。




...長っ!



 ●今日は2時に雄平と新宿で!
そして夕方にはカスガたちと。

一昨日は川越へ、
昨日は散歩へ、
俺はやることはやってるはず。
だから、ちゃんと楽しまなきゃ。
ノルエピネフリン、出ろ〜!!!