今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

3秒にひとり?

 今日はバイトでとっても嫌なことがありました。人に面と向かって自分を否定されたり欠点を突かれたり、そんなことって日々の生活であんまり起こることじゃないですよね?もちろんそんなことないって言う人もたくさんいるんでしょうけど、少なくとも俺はそんな状況に慣れてはいませんでした。言われてみて気づいたことは、人に悪口を言われるととてもショックであること。何を今さらって、笑い飛ばせるようなことかもしれないんですけど、「悪口を言われると辛い」なんて当たり前のこと過ぎて、知識としてしか俺の頭の中に残ってなかったみたいなんです。


 一応自分が短気であることを自覚してるつもりの俺は、今日は何事も行動を起こさず笑顔のままやり過ごしました。でも、それは自分としては褒められた行動ではないと思っています。相手に言われたことに腹がたって、怒るという感情も叱るという行為もただ単に出来なかっただけ。自分の気持ちを鎮めることに精一杯で余裕がなかっただけの話です。昔は、ワンピースのシャンクスに憧れて、自分が何をされても何を言われても怒らないことを目標にしていました。しかし今では、もちろんシャンクスをかっこいいと思う気持ちに変わりはありませんが、間違いを起こしている人がいたらそれに気づかせてあげるのが理想だという考えも知ってます。もちろんこの世界はマンガと同じものでできていないので、理想は理想ですが、相手がまだ中学生である今回の例を考えると、笑ってやり過ごすより怒りを少しでも示した方が相手の子のためになったのではないかって思うんですね。それにしても怒ることがこんなに難しいことだなんて、俺が中学生のときからは考えられなかったなぁー。将来自分がこんなことでこんなに頭を悩ませるなんて、想像もしてなかったよ。


 話は変りますが、人って生きていたら自然に自分の嫌な存在を避けて生きていきますよね。よく考えると、俺ら学生は特に、自分の嫌な存在を避けていく生活をしている気がします。嫌なマネージャーや先輩、友だちがいたらバイト・サークル自体を替えるか、その存在とは付き合わないようにする。ゼミだって、普段何気なく話す教室の友だちだって、やっぱり「選んで」接触するんじゃないでしょうか?今日こんなことがありましたが、これも良い経験だなぁーってさっき思ったんです。普段自分の好きな人たちとばっか、あるいは俺を好いてくれる人たちとばっか過ごしているばっかりに、俺は傷つくことなんてあまりありません。自分に害を及ぼす人、嫌な存在に会わないから。でもこのまま生きていけば、そういう嫌だと思う存在が避けられなくなる状況がきっと増えてきますよね?だから嫌な存在を避けていくことの繰り返しじゃなくて、自分がそういう存在と一緒にやっていくことに慣れちゃうことが将来のためなんじゃないかって思ったんです。


 それにしても、こうやって考えてみると、俺は自分と「違う」からって、無意識のうちに気に入らない人を自分の中で切って生きているんだなぁー。好きな人たちとばっか一緒にいる俺は、卑怯者なのかなぁ?それとも、とっても弱虫なのかな?