証はない。
考えてみると、小さい頃から俺らはディフェンス・メカニズム的な?
酸っぱい葡萄的な?ものが働いて、
本当は欲しいのに、
欲しくないって自分に言い聞かせてきたものってものすごくたくさんあるんじゃないかって思う。
それはとても単純な欲求で、
"明日発売される話題の、高いゲームを買って友達に「すごい」とか「いいなぁー」って言われてたい"
レベルのことが多いんだと思う。
そういうものは、社会的に「くだらない」とか「小さい」とか言われて、
もっと高尚なものを目指すようにいつの間にか促される。
そりゃー自分でつまらないと感じて、より高いものを自ら目指す人もいるだろう。
だけど、なんとなくだけど、社会的に促されてる部分が強いと俺は感じてる。
何にしろ、小さいたくさんの欲求は、自分の中でなんとかする。
欲しくなかったことにして、潰していって...そうやってなんとか自尊心を守って、
俺らは大人になっていく。
だって小さな欲求なんて多過ぎて、それらを叶えられないからって、
いちいち落ち込む時間は俺らにはない。
でも、俺がみる限りでは、
この欲求を「自分の中でなんとかする」っていう作業が下手な人たちがいる。
周りをみててそう思う。そんで、俺もそのうちの一人だ。
自分を騙すことが下手で、欲しいものを得られなかった経験が、
頭の中に積もっていく。積もっていって、結果、自尊心が低くなる。
ほんとにつまらない欲求なのに、それを「くだらない」と一蹴できないんだね。
もしくは、できてると自分では思っていても、無意識にそれはマイナスの力をもって頭に残されていく。
さて、最近あったのは、
そんなくだらない欲求が解消される出来事。
それはおそらく小学生の時から抱えてきた欲求。
「違う。俺はそんなん欲しくない。もっと深いものを。高いものを。輝くものを。」
中学生くらいからそう言って、それ以外のものに目を向けるようになった。
でも、その欲求はいつもそこにあったんだ。
中学の時は目の端でクラスで一番可愛いって言われてる子をいつも追いかけていて、
高校生の時、俺の近くにはさやかがいた。
大学のある夏ではナツミちゃんを好きになった。
自分を変えようとしたけど、実際はそんなに変わってなくて、
結局いまこんな状況にある。
でも、昔と違って今は悲観はしない。
むしろ、自分を褒めてあげたい。
力を抜いて、しなるようになった。
許せるようになった。
軽くなった。
その結果、思わぬところで自分が一生得られないと思ってた体験を得た。
いつの間にか30歳で、
もうこんなこと同年代の友達はずっと昔に通り抜けてきているんだと思う。
だけど俺は、まだだったから、
それに通り抜けられるなんて思ってなかったから、
ただただそれが嬉しいんだ。
何かの試験や大会じゃないから、
結果がハッキリと残るわけじゃない。誰かに表彰されるものでもない。
でも、頑張った結果得られたものに違いはない。
証はないんだ。
だけど、自分の中で似たようなものを形成して、記憶に留めておきたい。
いつか、ではなく、今日、今この瞬間のセルフイメージに反映して、
強くあれるように。自尊心を高く保てるように。
最後に、何よりその体験をくれる助けをしてくれた友人たちに感謝を。
はがれていくもの。
お疲れ様です☆
最近よく眠れなくて少しだけ辛い俺です。
聞いて欲しい話があって、ラインします。
なんだか俺、Hさんの言うとおりやっぱり焦ってるみたいで、転職のことばっかり気にしてるみたい。
自分の人生振り返った時、逃げた瞬間ってのがたくさんあることがわかったから、
これからは立ち向かうようにしようって決めてるんだ。
だけど、今朝起きた時にボンヤリした頭で考えたんだよね。俺ってそんなにお金必要なのかな?って。
ハチクロって読んだことある?昨日少し読んでたんだけど、主人公の竹本くんは宮大工になるんだよね。
宮大工って、大事な仕事の割にきっとびっくりするほど給料低いと思うんだ。
だけど、それを選ぶ。
他のキャラはそれぞれ別の仕事を選んでいって、真山とかはたぶん相当稼ぐんだと思う。
だけど、たぶんお金はそんなに重要じゃなくて
...不思議なんだけど、ハチクロにはあれだけのキャラクターが存在して、
おそらく普通に結婚して普通に子どもができるのは、最後の流れだけでみれば山田さんだけ。
他のキャラは、それ以外のことをあの時点では選んでる。
俺が選ぶ未来って、たぶんそういう感じなのかなって思う。
もちろんその過程で結婚とか子育てなんてこともあるかもだけど。
いま、色んな執着心や少しずつ落ち着いていってる。
女の人に対してとか、仕事に関してとか、何より家族に対してとか...。
このままどんどん落ち着いていって、自分の欲しいものが絞られてきたらさ、
この前俺が部屋を大掃除して色々未練なくさっぱり捨てられたように、
今俺が手放せないでいることもあっさり捨てられるようになるのかなって。もちろんイイ意味で。
Hさんの言うとおり、俺の努力は良いことだと思う。
転職活動に対してだけじゃなくて、女の子に対してのそれさえも。
きっと自分の糧になる。だからこれで良いと思う。
だけど、もし俺が、「将来子どもができる可能性もあるから」ってことで保険として公務員を目指すなら、
その保険は必要ないんじゃないかなって...ふと思ったんだ。
きっとそう思うなら、結婚したいとか子どもが欲しいってのも、俺にとってはその程度の願望なんだと思う。
公務員にこだわるのは、
今まで俺が親の無計画な将来設計に振り回されて苦労してきたから、
たぶん反射レベルで安定を望むってだけだと思う。
看護師でいるのも、きっとよくある「安定」ってものが今歯大きいんだと思う。
俺の望む未来が「幸せな家族じゃない」なら、自分でお金貯めれば良いんじゃないかな?
年取ってからお金のことで苦労する両親をみてきたけど、
計画的に使えば良いって問題じゃないのかな?俺はたぶん、それができるだけをいま十分もらってるよ。
「安定してる」って感じがあれば、
精神的に安定してやりたいことにもっと集中できるって考えてたんだけど、
物事を単純化して考えすぎてたみたい。
今日は、転職のことやらないで、自分の好きな格差問題についての本を読む。
少しは気持ち前進できるといいな。
蛇?とかみたいに綺麗に脱皮できなくても、
その過程が無様でも、
少しずつ余計なもんがはがれていって、そのうちスッキリした姿になれれば良い。
うん、それがいい。
●そういえば、忘れたけど、ちゃんと頑張った記録を残さないと。
俺にとっての「会心の一撃」、昨日あったよ。
頑張ったよ。それ以上に、今まで頑張ってきたね。
だっせぇー努力を。
逃げなかったって記憶、残せた。
これで少しは黙れ、このクソ劣等感!!
10年。
小野不由美の「丕緒の鳥」を読んだ。
正確には収録されている短編の一つ、「落照の獄」を。
ルーチンワークを出来るだけ効率的にこなしていく。
私の選んだ仕事の性質上、仕方のないことだが、
普段自身がいかに物を考えずに生活しているかを感じる。
この考える力はおそらく将棋や言語のように、ある程度まで突き詰めれば自身の能力として定着するのだろうが、
そこまで行かなかった者の能力が損なわれることは容易く、湯のようにすぐに冷めてしまうものなのだと思う。
もちろん、身体能力だったり筋肉のつき方だったり、話を作る能力だったり、
多くのものを求めてしまう俺は。それらの中から選ばなければいけない。
俺の体力・気力ではすべてを手に入れることができない。
だけど、これは優先順位の高いものなのではないかと思った。
今回の話は、司法についてだった。もっと具体的には、刑法について、死刑の是非についてだった。
話を読み終えてなぜか思い浮かんだのは、自身の愚かな考え方について。
幼い頃、正義を行いたいと強く願った私は、世を少しずつ知るにつれ、
正義とは何をすることなのかわからないことに気づいた。
これはとても皮肉なことだと思った。滑稽なことだと思った。
そして...その後には何も続かなかったのだ。
正義を行いたいと願い、正義が何かわからないことに気づき、そして正義とは何であるかを模索する...
文にすればこれだけ簡単な3番目のことを私は行わなかった。もっと滑稽なことがそこにはあったのだ。
正義とは結論が出ないことだと決めて、考えることを辞めてしまった。
模索することを辞めながらも、様々な考えに触れて辿り着いた結論は、人の世界は弱肉強食で、
強い者たちが思い描く理想を掲げて、そこからルールを作り敷いて...弱い者たちに強いる。
故に世に正義などなく、力の強さがすべてなのである、と。
とても単純だが、これを振りかざすことによって私は自分を守っている。
何から?たぶん、人の道とは、この場合の正しい判断とは...とか、そういう類の難しい話から。
「落照の獄」はファンタジーの話であるが、登場する世界には法が敷かれており、
法治国家の日本とそれほど変わらないと考えられる刑法が存在する。
正義など存在しない、などという稚拙な考えではなく、絶対的なものなど存在しないことを当然とし、
それでもより良い選択をするために苦悩する国の高官たちの話は、
私を動揺させた。
いや、知ってたよ。ベストなことがあるわけじゃない。いつだってベターなことを探して多くの人が苦悩してる。
そしてよりベターであるために、たくさんのことを学び、考えるんだって。
そのために日々奮闘しているんだって。
知っていながら、そういうことから目を背けていた自分がいたから、
それを読んで動揺した。ただそれだけだ。
いくら自分の一番好きな小説家の話であっても、読んだからといってすぐに私の行動が変わるわけではない。
でも、なんだか、やっぱり胸にしこりのようなものが残ったから、
それを取り除けるよう少しは努力したいと思う。
●10年と書いたけど、ほんとは7年くらい。
日本に帰ってきてからの時間だ。
カナダから持ち帰ってきたものは少なく、帰ってきた当初は友人と会って話すだけのお金すらなかったため、
帰国することを多くの友人には伝えずにいたくらいだった。
インターネット環境がなくて、就活するにもスーツがなくて、
自分の持っているものなど数えられたと思う。
それから7年。
周りを見渡せば、自分に足りていないものばかりが目に入り、
友人たちから遅れていることに焦り、
今の自分が何の能力も持っていないことから、未来の自分へ絶望する。そんなことが多い。
だけど、一週間ほど前から少し体を病んだ私は、今日はゆっくり過ごすと決めていて、
実際その通り本を読むほどの余裕を得た。
そうして冷静に周りを見渡せば、
家の外には車が停まっていて、
自分は家族と大きな家の中にいて、
使えるかは別として、部屋にはたくさんの服がかけられていて、
生活に不必要な音楽器材があって、
夜には職場の同僚たちとの予定がある。
顔は老けていくばかりだが、顔を合わせれば良く言ってくれる人が増えている。
何より、大切な友人はまったく減らなかった。
さらには、欲望も胸の中にひっそりとある。
7年間ってのは、長い時間かな?
7年間あれば大抵のことができるのかもしれない。
でも、力が弱い俺にとっては、7年間ってのはそんなに長くない時間であって、
その期間のうちにゼロからここまできたことを考えると...
頑張ったな、俺。...って、そんな風に思う。思える。
昔ここに書いた気がする。それともあれはtwitterかな?
あれはたった一度だけカウンセリングを受けた時だったか。
俺は、ちゃんと冷静にゆっくり考えれば答えを導き出せる、みたいなこと。
答えってのは大袈裟だけど、自分に納得のいく判断ができる、と思う。
まぁーつまるところ、時々はゆっくりしようと。そういうことで。
難しさ。
...頑張ってませんし、強くもなってません。
一時の感情に酔っていただけです。
それを努力とか強さって勘違いして...
今も昔も私は...
弱いままです。
前進するためのエネルギーを自分の中に作ることを目的に、過去の自分を回想する。
いつも努力してきた。一生懸命頑張ってきた。
精一杯、辛い状況にありながらも、その時の最善を尽くして、あがいてあがいて...
そうやって自分は今ここにいる。
だから過去の自分の判断に後悔なんてない。
いつも俺は精一杯やってきたんだから。
それを思い出せば、自信が湧いてくる。力が出る。
でも、実際はそうじゃなかった。
弱い時はとても多くあった。弱い時の方が圧倒的に多かった。
頭では認めてなくても、振り返ると「逃げ」だったことなんていくらでもあるし、
自分が勝てるフィールドだけで勝負しようとして、
実際にそうしてきた。優秀な群の中に交わらず、自分より劣る群の中で一番であることを選んだ。
努力するべきところで努力せず、踏みとどまるべきところで踏みとどまず、
いつも思慮が浅く、怠慢であり、何よりそんな自分を認めず...
そうやって自分は今ここにいる。
自分の外見がかっこ悪いことに気づいたのがここ数年になってからだってのが良い証拠であり、
これは9割が“苦い”成分の(苦笑)だ。
3月のライオンで、
なぜプロの棋士になったのに高校に通うのか問われた零くんは、
自分の中から逃げた記憶を消したいからだと答えていた。
学校は零くんにとっては馴染めないところであり、逃げる対象だったという。
それを聞いた野球少年は、その気持ちがわかると言った。
何かと真剣に向き合う時、自分の本質が試される...ような感じになる。(ちゃんと理解していないが。)
逃げた記憶はそんな時に自分の中から浮上してくる。
そして自分の自信をなくし、自分の戦う力を低下させるのだ。
それは事実だった。
逃げた記憶をなくす努力をして、戦う力を高めることができて、
それが事実だったことを確かめることができたなら良かったのだけれど、
残念ながら、学校に通って、自分の逃げた記憶を消そうとして強くある零くんとは逆に、、
俺には逃げた記憶がいざという時に思い出されて、力が出なくて、それが事実だということを知った。
今の俺は、普段からあまり自分に自信がない。
取り繕って、準備した自分ならまだ良い。
だが、いざ真剣に何かに向き合う時なんかは、取り繕っても、たくさん準備をしても、
萎縮する。
一歩引く。
笑ってごまかす。
何よりそうした後、言い訳をして自分が弱かったことをなかったことにしようとする。
最大の言い訳は、「そういう環境で生まれ育ったから。」
やっかいなのは、それがある意味では「ほんと」だからだ。
感情をちょい他へやって考えれば、俺みたいな環境に生まれ育ったなら、
こうなって然るべきなのだ。しょうがない。
社会人として、日本の社会に生きる人間としてみた時、様々なことが欠落している両親からは、
俺と兄貴が育つ。それが普通。高い確率でそうなる。
でも、おそらく俺は間違ったことをしている。
精神論で自分を走らせようとさせている時に
社会学的な考えを入れていることだ。
この二つのことは混在させてはいけない。
いや、一緒に考えることは自然なことなのかもしれない。
ただ、自分に欲しいものがある限り、優先順位は明らかなのだ。
間違っているのは、社会学的な考えを「言い訳」に使うから。
もしも俺が勝ち負けの世界に身を投じるならば、
青臭くとも、間違っていようとも、
「身の程をわきまえぬ大望がある」ならば、
俯瞰した時どんなにバカらしくとも...
“強い精神”って言われているものを作り上げなきゃいけないんだと思う。
きっとそれが今の俺にとって一番大切な、頭に置いとかなきゃいけないこと。
...こんなことを書いてはいても、
実はまだ迷いは大いにある。
まりあの綴る『穏やかな暮らし』
ちえと話す未来
未だ話の中でしか見出したことのない種類の快楽
優先順位一番目のための、博打という名の果てのない努力
いつだって可能性だけは存在している、落ちもの的リアルな冒険
一番現実的で手っ取り早い性の楽しみ
さて、さて、さぁーて、
俺は一体どこへ向かうのだろう。
まぁーまだましになったのは、
「強い」とか「弱い」って、
そんな二極端の単純な物事のはずないってことを一応理解している今の自分がいるってこと。
「神」か「クソ」かのネットの評価じゃねーんだから。
もう一つ幸いなのは、
最近「失格人間ハイジ」っていうweb漫画に出会って、
色んな生き方を見させてもらって、
ドンくさいかっこ良さ?みたいなものの良さを感じた。
ロールモデルがいないと何もできない俺にとってはそれはとても貴重で、
なんだか少し自分が前進した気がするんだ。
漫画を読んだことによってじゃなくて、
その漫画を読んでそれをかっこいいと思えた自分を確認して、
あー俺いつの間にか少しずつだけど前に進んでいたんだ、なんて。
「きっと何者にもなれない」俺は明後日、試験。
頭ん中ごちゃごちゃしてる中で、
逃げた記憶から目を逸らしたまんまで出した最良の案。
とりあえずはそっちを目指してみる。
後のことは、そっち行ってからまた考えるとしますわ。
やばい、こんな時間。そろそろ筋トレしなきゃ。
当日スーツがきつくないように、ダイエットを...。
社会貢献
先日、「仕事の流儀」というテレビ番組を観た。ある特定の分野の前線で活躍する人にスポットを当てたこの番組で、その時取り上げられていたのはまだ高校生でありながら、プログラマーとして既にITの分野で活躍をしている男の子であった。彼は言う。お金を稼ぎたいんじゃない。自分の仕事によって、「人類を前に進めたい」のだと。
若干15歳の少年から出たとは思えない大言である。おそらく、こういった夢に溢れ、大言に伴う行動力を持った者が実際に社会に大きな変化や革新をもたらしていくのであろう。しかし、一方で所謂「普通の人」である私たちの行動一つ一つが積み重なって社会に変革がもらされてきたという事実もあるはずだ。もしそうであれば、人類を前に進めることはできずとも、私は周りにある環境を少しでも良くすることに力を注ぎたい。社会にとっての貢献度で考えれば、とても小さいものであるかもしれないが、それはやはり程度の問題であり、プラスであることに変わりはないのだ。
現在、私の目の前にあるのは、私の職場である。さして大きくもない病院の、内科病棟である。この職場の環境を改善していくこと、これが現在の私にとっての社会貢献である。
病棟の改善点は三つある。一つ目に、働くスタッフの方向性を示す目標を作ること。二つ目に、皆が学習し、知識や技術のレベルを上げる環境を作ること。三つ目に、チームとしての連携を強化し、業務の効率化を図ることである。
目標と言っても、職場に求めているものがスタッフ一人一人異なる。しかし、その中でも共通するものを拾い上げ、具体的な指標をすることはできる。具体的な目標、それも短期・中期・長期と掲げることは、スタッフのモチベーションを向上させる効果があると古くから心理学の実験で証明されている。
どの職業にでも言えることであると思うが、医療の現場は特に技術の発達が著しく早いと言われている。十年前は常識として皆がやっていたことが、実際は間違っており、現在は真逆のことをするようになった、ということは珍しくない。どの家庭にもあった傷口に吹きかける仕様の消毒液が姿を消したのはその最たる例であろう。そのため、看護師となり、看護を技術を一通り学んだ後も学習を継続する必要がある。学習するかどうかは、それぞれの意識の問題とも捉えられるが、スタッフの知識や技術の向上が前述した目標につながるとすれば、病棟として学習する機会や学習しやすい環境を作っていく必要がある。具体的な取り組みとして、他病院では「ノロウィルス患者への対応」などのテーマを決め、当番となったスタッフがそのテーマについて研修会に参加するなどして学習し、病棟でプレゼンテーションを行い知識をシェアする、などの活動が行われている。
最後に、医療業務において最も重要とされるチームワークを強化していく必要があると考える。三人寄れば文殊の知恵というが、それぞれの異なった技術がある他職種が相談し連携していくことで、問題を多角的にみることができ、またアプローチの幅も多いに広がってくる。同職種であっても、それぞれバックグラウンドは異なるため、当然出来ることの種類も異なる。これらを最大限に生かすシステムを考えることは業務を効率化させることに繋がり、そこから生まれた余裕は、さらに質の高いサービスを提供することに繋がると考えられる。
職場の環境が改善して、それはどこに繋がるのだろうか。病棟で過ごす患者の精神と身体の安らぎ。スタッフの充実感。そこから繋がるそれぞれのスタッフのプライベートの時間での余裕。どれも小さなものであるかもしれないが、積み重なっていけば社会にとってのプラスになることを、私は疑っていない。現在の私にとっての社会貢献はこれだ。
fly high!
才能は開花させるもの
センスは磨くもの
真実...というか、事実?を学んでから、俺はなかなかに嫌な思いをたくさんしてきたと思う。
既得権、っていうのかな?
それを持ち、なおかつその自覚がない友人たちにイライラさせられることはいっぱいあった。
運で手に入れたそれを実力だと勘違いしている人たちにも。
きっと、これからも俺は嫌な思いをするだろう。
でも、それを辛く思ってはいても、
もっと辛いことは無意識に避けてきたんじゃないかと思う。
自分の得られるものの限界は。それこそラプラスの悪魔にしか見えないものだろう。
自分では決して見ることの叶わないもの。
人間だれだって曖昧なことを避ける。
だから自分でこれまでの経験から予想して、線を引く。それを仮の限界とする。
その線をみながら、俺で言えばおおよそ70%とか80%の力で運転する。
人によっては50%とか60%とか、もしかしたら20%くらいの人もいると思う。
....まぁー合ってるかは別にして、こう考えた時さ、
仮の限界の線を高く引いてみたり、線を引かなかったりして、
手さぐりでホンモノの線を探してみたりしたとすると、
これはきっとかなりキツいよね。
曖昧な世界。疲弊する。モチベーションを維持するのが難しい。
伸ばした手が空を切る。何百回伸ばそうと。
だからさ、今までイライラしてきた自分って、辛かったけど、
たぶんそれ以上に辛くなることはちゃんと避けてきたんだなぁーなんて思う。
事実を知りながらも挑戦することって、きっとすっごく辛い。
才能は開花させるもの。センスは磨くもの。
才能と努力ってのは、人間の永遠の課題だ。
でも、答えはずっと昔から出てる。
才能のない人間は、努力するしかないんだよね。
辛いんだろうけど。
おぼえておきたいのは、
俺は同時に恵まれているのだということ。
努力して何かをなそうとする人間は、その時点で恵まれている。
動物なのだから、本来人間は生きることで精一杯だ。
今も世界の大多数の人は、そうやって生きている。
だから、努力できるチャンスを与えられていることに感謝して、
辛いながらも楽しく色んなことをやっていきたい。
そう、楽しく。
だって、これは俺が選んでするものだから。
can you sing with the color of the wind
少し前の話。
高校の時の友人から突然電話があった。
もう2年ほど連絡を取っていない友達。
最後に実際に会ったのはきっと5年ほど前。
そんな友達が、「この前“今朝のココア”みたんだけど。」と言った。
時々ドキっとする。
俺がこれまで出会ってきた人たちはとても真面目で優しくて、
10年以上前に立ち上げたこのブログを覚えててくれて、今でもふと思い出した時に読んでくれたりするらしいのだ。
それはそれは...嬉しい気持ちがもちろん最初にくるのだけど、
申し訳ない気持ちにもなる。
ちゃんと更新していないことに加え、この内容では...いや、ほんと非常に申し訳ない。
ここは俺の感情のはけ口、というか、考えをまとめる場所なので、
今俺がどこで何してるのかとか、そういうことが書かれていない。
どこに行って誰と会ってるかとか...そんな話が一切ない。
それはそれで良いと思うんだけど、何年かぶりに覗いてくれた人のために、
ちょっと今の自分の状況?について少しだけ書いておこうかなぁーって思う。
いま俺は埼玉県のとある小さな病院で看護師として働いている。
がむしゃらに精一杯、働きマン!...の対極にいて、かなりゆるーく働いていると思う。
少なくとも、都内の急性期の大きな病院で働くナースさんたちとは比べるべくもなく、ってな感じ。
給料には満足してる。ただ、将来のことを考えるとずっと働いていく病院ってわけではないから、
近いうちに転職をする予定。転職って言っても違う病院に勤めるだけだけど。
趣味はあるけど、それに広がりを持たせられなくて、ものすごく楽しめてるわけではない、かな。
音楽は残念ながら続けていない。ドラムはもう叩けないし、オカリナも吹けない。
英語も「捨てる」って考えた時からほんとに維持する努力をやめてしまったから、
今ではほとんど話せない。
運動は、割れた腹を維持したくて細々と筋トレしたり走ったりしてたけど、
いまこの瞬間はかなりたるんだ身体になっちゃってる。
読書は、マンガは時々読むけど、小説はあんまり読んでいない。
お酒は相変わらず飲めないけど、なぜかコーヒーはとっても好きになった。
あと、なぜか最近とってもチョコレートが好き。
理性を保たないと平気で高級チョコレートを買ってしまう。どこのOLだ!?って感じですね。
昔に比べてかなりインドアで、けっこうなめんどくさがり屋になってしまったから、
都内のこともよくわからない。
この前新宿で高校の友達たちと会ったけど、
待ち合わせ場所の歌舞伎町のドンキがわからなかった。
最近東口と聞いてやっとアルタが思い浮かぶようになった。
家族は、低空飛行を続けている。
低空飛行でも落ち着いているから良いのかなぁーなんて今は思ってる。
去年までこのどうしようもない状態をなんとかしようと頑張ったりしてたけど、
今は前向きに諦めようと考えるようになった。
別にどう自分が生きていきたいか、明確なビジョンがあるわけじゃないんだけど、
家族と一緒に生きていくことが俺の望みではないのは確かだから、
精神的な距離を取れるように今なって、これからは少しずつ物理的に距離を取っていこうと思う。
せめて祖母と母に何かあった時は避難させてあげられるようになりたい、なんて思ったりはまだするけど。
恋愛に関しては、上手くいってるのかな、これは?
イイ意味で、期待も失望もしなくなってきてるかなって思う。
性的な行為は愛情と切り離されたし、
好きな人にすべてを求めるようなことはもうしなくなった。
現在ちゃんとした付き合いをしてるわけではないけど、
いまはこれで良いかなぁーって思う。
交友関係については、いい距離を保ててるのかなって思う。
そりゃーできればもっとみんなと会いたいけど、
経済的にも時間的にもなかなかそうはいかないよね。
でも、時々連絡を取り合ってる今の状態はそこまで悪くないかなって思う。
たとえ、「機会があったら会おうね」って言いながら、
いつまでも会えないまま時間が経ってるってな状態であったとしても、
それはそれで良いじゃん。
機会があれば会えるしさ。
最後に、身体も精神も今は調子が良い。
とっても元気!ハッスルハッスル!!マッスルマッスル!!...ってほどじゃないけど、
仕事の日に朝どうしても起きられなかったり、
身体のどこかがいつでも不調だったり、
そんなことがない。
だから、結論として、今の俺はよくやってる。
未来のことも、いい具合に力を抜いた状態で、それなりに考えてる。
これを読んでくれてる方、
そんなわけで、あれですよ。
「落ち込むこともあるけれど、私は元気です。」
ってやつです。
これからも時々覗いてくれたら、それはやっぱりとっても嬉しいなって思います。