今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

あと三日で...

 ●ボーナス。



 だけど、ほんと少ししかもらえない上に、
色々と出費があるので、特に楽しみにしていない。

 それより仕事!先週、その前から体調悪い中よく頑張った俺。
入社してから二度目の扁桃炎を先月末に発症させた俺は、
今回は仕事は休もうとはどうしても思えず、
無理して仕事に三日間出た。
4日目の休みの日にはやっと受診できたけど、
その時には痛み止めがまったく効かなくなるほど悪化してた。
受診した後もそんな悪化した状態なのですぐには治らず、
その後二日は大きく口が開けられなかったため流動食のみ。
食道の食事、今回初めて残したわ。
ゴメンよ、ちょっとしか食べられなかったカレー...


 まぁーそんなこんなでなんとか復活して、
今は健康体。
うーん、やっぱり健康って素晴らしい。



 ●仕事で受け持ちの患者さんに、
「いやぁー、ほんと良くなりました。
〜さん(俺)のおかげですよー。」と言われた。


 患者の方々は余裕のない方も多い。
身体がやられてると、心の余裕を失う。
この言葉をくれた人も、とても悪い状態で入院した。
余裕がない中から出る言葉だから社交辞令じゃなく、けっこう本気で感謝してくれてるんだと思うんだ。
実際には、俺はなんにもしてない。
点滴取り替えたり、尿器取り替えたり、とても普通なこと。つーか業務だし。
話を聞いてあげたわけでもない。(→気持ち悪くて嘔吐ばっかり繰り返してたから、話を聞ける状態でもなかった)
だけど、こういう言葉を患者さんからもらい始めた俺は、
形だけでも看護師にみえ始めたんだと思う。
まだまだ何も出来ない俺だから、看護師って実感はないんだけど、
そのことだけで、今は嬉しい。
患者さん、治ってきてほんと良かったですね。
病気って辛いですもんね。



 ●気持ち悪い。
職場の同期二人と仕事終わった後病院の前でたまたま鉢合わせしたから、
話を聞いてた。
そしたらなんだかとても気分が悪くなった。
俺の中の「ふつーの人」ってこんな感じなのかな?
それともこの業界の人の傾向??
二人は愚痴...というより、同僚の悪口ばっかり。
恋愛の話になったと思ったら、
“今まで何人とヤった?”話。
前からずっと単純に不思議だった。
どうやったら自分を棚に上げて他人をそんなに蔑めるのか。
俺は鏡みたらとてもじゃないけど他人のことをとやかく言えないけどな。


 この業界では特に、俺は少数派となることが多い。
だからただの反発なのかもしれないけれど、でもやっぱり俺はこう思う。
俺が友達だと思ってるやつらは、そんな話で盛り上がったりしねーし、
他人のこと影でバカにして下にみて嬉しそうな笑みを浮かべたりなんかしねー。
そんな低俗じゃねーよ。


 せっかく出会えた同期だから、なんだかガッカリしてしまった。
もちろん同期はそういう人たちばっかりじゃないけど。


 でも...もし俺の元カノさんの周りにこういう人が多いのだとしたら、
さぞかし俺との付き合いには苦労しただろう。
普通に言える愚痴とか悪口も言えなくて、
きっと俺の考えてることは理解するの難しくて、
彼女にとっての“ふつー”の話ができなくて、大変だったんじゃないかな。
ゴメンね、あんまり気づいてあげられなくて。
でも、それならやっぱりなおさら別れて良かったんだよ。
いつだかNちゃんだったかが言ってたっけ?
『人をつなぎとめられるのはその人の魅力だけ』みたいなことを。
その通りだよ。
いくら情に弱い俺でも、無理だと思う。



 ●一昨日には地元の英会話カフェなるものに参加してみた。
楽しく話せた相手は少なかったし、ググっとくる面白い出会いもなかったけど、
それでも久しぶりに英語で思う存分話せてとても楽しかった。
家に帰って、次の日のために早く寝なくちゃいけなかったけど、興奮してなかなか寝付けなかった。
それだけ楽しかったんだと思う。
だけど、ふと疑問に思った。
なんでこんなに俺は興奮してるんだろうと。
今までだって英語で話した後はある種の爽快感があった。
3年以上も英語圏にいて、その間付き合ってた友達とは全部英語で話してたんだ。
英語話すことが恋しくなって当然だと思う。英語を話さないとその時の記憶がなかなか戻ってこないならなおさら。
でも、これまで英語で話してた時のことを、日本での時だけじゃなくカナダでの時のことも振り返ってみて、
気付いたんだ。
これは、習慣にしてたことを久しぶりに行って得られる満足感だけじゃない。
たぶんこれは、俺を興奮させてるものは...優越感だ。


 カナダにいた時も、日本に帰ってきてからも、
『英語がペラペラなんだ、すごいねー』なんて言われても、別に全然嬉しくなかった。
だけど、英語を実際に話す時は違うんだ。
周りにネイティブの人たちがいて、その他に日本人がいてってな状況じゃ違う。
大抵日本人の中じゃ抜きんでて俺の英語力は高いから、その場の多くのコミュニケーションの要となる。
その場の空気を支配してる感じ。
何より、自分が一番だという優越感。それも他の追随を許さないほどの圧倒的な力。
その力を振るうことに喜びがあるんだ。


 カナダにいた時、そういえばYanetとこんな話をしたことがあったっけ?
自分の優越感なんて忘れてたよ。
今は職場で一番下っ端だから、特に人より上に立つという気持ちに飢えてたのかもね。
つまんねー人間。
だけどつまんない俺にとって今必要な感情っていうことなら、自覚した上で欲求を満たしてあげなきゃね。


 きっとYanetやElliotと話す時はこんなことはないだろう。
優越感も劣等感もない。きっと英語で会話していることさえ忘れるんだろう。
その時まで、英語は別に優越感を感じるための道具でも構わないよ。
どーせ俺はひけらかすタイプじゃないし。




 ●ようやく本題。
俺には今したいことがある。
そのために時間が欲しい。


 お父さんの仕事は予想よりずっと続いてる。
少なくとも一年間は大丈夫という話だ。
そしてお母さん。一緒に暮らしている時から、身体だけじゃなくて、
“考えること”に対しての衰えを強く感じてたけど、
久しぶりに家に帰ってみると、身体も頭もすっかり老け込んじゃってる。
兄貴は相変わらず...というか前より子どもっぽくなってないか?
兄貴も親父も俺がいないと我がまま言いたい放題なんだろうなぁー。
あ、そのことはおばあちゃんにこの前聞いたっけ。


 さて、現状はいつも通り不安定で、
「人生ままならん」状態継続中。
だから、迷う。
仕事を辞めて半年とか時間制限付きで自分の好きなことをやること。
もう少しお金を貯めて、どんな状況にも対応できるようになってからが良いんじゃないかなぁーとか。
でも、今朝...だったか、昨夜ふと思ったんだ。
もしかして今しかないんじゃないかって。
不安定ながら仕事が続いてる親父。
まだ実家が今の家に住んでられる経済状態の間にしか、俺は自由に立ち振る舞うことができないんじゃないかって。


 人それぞれだけど、
俺みたいなタイプの人は日本人にはけっこういるんじゃないかなって思う。
走って走って走り続けて、ここまできたら大丈夫だろってとこまできてみたら、
やっぱりまだ走り続けなきゃいけなくて、一体これがいつまで続くんだって感じながらも結局走り続けていく...。
そのままずっと走り続けていく。それが人生だ。
仕事やってんならなおさら。wow war tonightみたいな、あんな感じだきっと。
そんな中でどうにか折り合いをつけてやってく。そんなもんだろ?
だけど、選択なんてねーよなんて思いながらも、
実際は一応ある。それを選べない理由ならいくらでも思いつくけど、選択肢は一応はあるんだ。
そんでそれを選ぶのは本人の自由なんだと思う。


 今までその選択肢を俺は否定し続けてきたけど、
一度は試さないときっと俺はいつまで経ってもピーターパン症候群が治らない。


 幸い資格は取れた。憶えなきゃいけない仕事はまだまだまだまだまだまだまだまだたくさんだけど、
とりあえず最低限のことはあとちょっとで教えてもらえる...と思う。
今考える限りでは、あとは実際に俺が進みたいと思ってる分野、精神の方で学ぶのが良いんじゃないかって思うんだ。
内科に配属されたのは良かったこともたくさんあるけど、うちは特殊な内科だから、
あんまり今後の勉強にはならない。(もちろん基礎技術の習得には役立つけど)
ガンとか脳血管とか心臓系の人たちはこない。
まぁーこれはとりあえずM君にでも相談してみようかな。
精神をやっていくにあたってどれくらい他科の知識と技術が必要か...。


 そんなわけで、これ以上時間が経つと状況が悪化するという意味で、
今が好機なのではないかと思うんだ。
半年も試せればさすがにピーターパンも大人になるきっかけを掴めるだろ?
それでダメなら一生背負っていくさ。
そんなわけで...
やってみたいと思う。
半年。


 4日後。
俺が入りたいと思ってる病院の説明会がある。
もし可能なら、来年の4月からそこで働く。
そしてそれまでに、今の仕事にケリをつけて、半年試す。


 なんか「耳をすませば」の雫みたいだな。
雫のお父さんの言葉を思い出すな。
他人と道を歩くのは大変だって。誰のせいにもできないから。



 さてさて、どうなりますやら、俺のこれから。


“状況は悪いが、ただ逃げ出すんじゃ根性ないな
展望はないが、度胸でクリアするしかないや。"