今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

ロージナ茶房にて。

物事の中心にいると、全体が見にくくなるものだ。なら、自分のことがよく見えるのは、案外ちょっと距離を置いた親友なのかもしれない。



犬は子供の頃育ててくれた人に一生なつくという。俺も同じで、高校の時よく面倒をみてくれた人には一生なつく。だから先輩を好きなのは、一種の刷り込みなのかと思ってた。
でも今日先輩と3年近くぶりに話してみて、ずっと違った環境にいたにもかかわらず、共感できることがとても多くてビックリ。
ここ数ヶ月、周りと自分の価値観や人生観の違いに戸惑い、単純に自分が変なのかもという疑問が消せないでいたが、今ならひょいと消し飛ばせる。俺、別におかしくねーし、否定されるいわれはない。

傾聴とかカウンセリング技術とかって何?美味しいの??ってな具合に好きな話を飄々としながら、俺に自信をくれ…ついでに俺の過去と今、そんで未来をつなげてってた。

彼女の中には俺の考えや行動がずっとつながってるんだ。10年分の長い時間、続いてて…意識してかしないでか、これからもつないでいく約束をしてくれた。

高く幅のせっまい塀の上を歩く危なっかしい自分を俺は意識してる。
でも彼女はあんまり俺が落ちる心配をしていないようだ。というより、俺が留学する時に、失敗して帰ってきても良いじゃないと言ってくれたように、今回も別に落ちて良いじゃないという気持ちでいるみたい。

そのスタンスでいられると、let goが好きな俺でも、落ちられないと思う。

俺の中の経験や考えの断片はつながるかな?
いつか、ふとつながったと感じて、先輩の言った通りになったことを悔しく思う瞬間が来るのだろうか。
とりあえず、先輩を外国に呼ぶのはかっこいいから、そっちを目指してフラフラ塀を歩き続けよう。



あ、坊主は決定。