今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

か・え・る

 memento vivere
しんデス。


 ●哲学者の好きな言葉に、memento moriってのがある。
『いつか死ぬことを忘れるな。』
みたいな、そんな意味だった気がする。
漠然としか知らなかったから、辞書で調べてみると、
もう一つmementoのついた言葉を発見。


"memento vivere"
『生きることを忘れるな。』



 さてさて、これはどういう意味なんだろ?
いつか死ぬことを忘れず、今を精一杯生きろ!とかならわかるんだけど、
生きることを忘れるなとは...?




 先日友達と『死』について話す機会があった。
死んじゃったら何もかもおしまい。
だから、何があっても死んじゃいけないんだって友達は言ってた。
そういうことをハッキリ自信を持って言えるその友達が俺は好きだ。
心の奥底では生きたいって思ってても、
目の前のことから逃げ出したい気持ちが強い人たちにそんな言葉をかけてあげられたなら、
必ず助けになるだろうなぁと思う。



 ただ、俺の意見はちょっと違う。
俺は別に死にたいとか思ってないけど、
不幸な人の辛く悲しい毎日ってのは想像できるから、
死にたいって気持ちもなんとなく予想できる。
死ぬと周りの人間を悲しませるから、
『消えたい!』ってのがもっと正確な言い方なんだっていう人もいる。




"海は広いんだで。
いつか必ずお前を守ってくれる仲間が現れる。
この世に生まれて、一人ぼっちなんてことは絶対ないんだでー。"




 上はワンピースの言葉だけど、俺はこの言葉が好き。
名言だよね。
ついでにもう一つ名言を。




"人の足を止めるのは 絶望ではなく"諦観(あきらめ)"、
人の足を進めるのは 希望ではなく"意志"

ヒトは絶望するから 足を止めるんじゃない。
絶望から這い上がるのを "諦めて"しまったから 足を止めるんだ。

ヒトは希望があるから 前に進むんじゃない。
希望を探そうという "意志"で前に進むんだ。"



 
 これはARMSからの引用。



 真実かどうかは別として、
俺の考えるこの世の中の流れとこの二つの考え方は違う。
人は確かに意志で進むけど、
希望はその意志形成への大事な要素だ。
ワンピースの名言やヒーロー・ヒロインたちの活躍は、
読者への希望だ。
その意志や希望を受け取って、そんで足を進める人たちがいる。
その人が一人ぼっちかどうかってのは、
本人がどう考え、どう感じるかだ。
見つからないって思ってたら、やっぱり見つからない確率が高くなる。
見つかるって思ってたら、見つかる確率が高くなる。
だから、希望は大切だし、
『見つかる!』って信じることも大切だ。




 だけど、現実の世界にはたぶん存在するよね、一人ぼっちの人。
守ってくれるやつなんて出会わないで、
嫌われ者として一生を終えていくやつなんて、たぶんたくさんいる。
クソみたいな人生を送るために生まれた。
そんな風に思う人だっているはず。



 芥川龍之介は、
生まれてくる前に、自分の人生を観て、
生まれるか否かを生まれる前に選択する話を描いてた...はず。
なんてタイトルの話か知らないけど、
本人の希望を描いたものだよね、きっと。
俺らは気づいた時には生まれてて、育ってて、
そこに選択肢なんてない。
勝手に生かされてる。
だけど、
死ぬってことには、幸か不幸俺らには選択肢が用意されてるように思える。
自由意志ってものを俺は信じないけど、
その人の生が世界に鎖で繋がれているように思われるものなら、
唯一の選択肢を行使しても良いんじゃないかって思う。
そんで、それは俺にも同じで、
別に世界に鎖で繋がれているようには感じてないけど、
自分の死ぬ時と場所くらい、
自分で決めたいと思う。



 

 生きることを忘れるなってのは、
鎖でつながれてる人の考えなのかな?
これからもお前は生きていかなきゃいけないんだぞ的な、
そんな意味かな?


 いや、たぶん、
生きてる喜びを忘れるな、ぐらいの意味だと思う。
死の選択肢は持ってると思った方が良い。
人生を支配してるって感覚は、あった方が良い。
でも、
その選択肢は行使しない。
生きてることの喜びを確認させてくれる者が、
俺の周りにはいるから。





 ...にしても、
この生と死の話は、
こんな良い天気にはそぐわないねー。