今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

地元の小学校にて。

 今日は地元の小学校の小学3年生のクラスにお邪魔して、日本の文化を紹介するということをしてきました。なぜこんなことになったかと言うと、〜〜〜というわけなんです。というわけで(笑)、俺と同じくUPEIに通ってる日本人の友達と二人で今日は早起きして、子ども達が登校するところから家に帰っていくまでの時間を教室(+校庭)で一緒に過ごしてきました。


 もうすぐカナダでの最初の一年間を終えようとしている俺なんですけど、後で誰かに『カナダで一番印象に残ってることは何?』って聞かれたら、きっと今日のことを俺は話します。今日はそれだけ俺にとって印象的で、楽しかったと同時に色々と考えさせられる一日でした。


「ガイジンが教室にきて自分の国の文化について話をする」ってことは、最近日本でもよくあることだと思います。でも、その『ガイジン』になれる機会ってのはなかなかないですよね?俺が子どもの時、学校の教室にきた外国人が珍しくて、好奇心をそそられた感じ。あの感じが今日子ども達の胸には渦巻いてて、そのベクトルは俺に向けられてる。...なんだか不思議な気分ですね。まさか自分に、教室と子どもたちの好奇心の真ん中に立って話をする機会がやってくるとは。
 ここPEIは黒人がとっても少ないんですよ。それにアジア人も。要するに『外国人』があんまりいないわけで、そういう意味では日本の学校によく似た環境なんです。だから外国人と触れ合う機会なんてないまま大人になるなんてことはよくあることなんですね。たとえ親や先生、社会に偏見を植え付けられなくたって、人間は自分と違うものを恐がっちゃうもんだから、免疫のない子どもは大人になって外国人と接するとき抵抗ができる。頭でわかってても、きっと心が拒絶しちゃうんです。まして相手が違う言葉を使う国や地域の人だったらなおさらですよね。それに頭でわかってるだけじゃあきっと人間は脆くて、偏見にすぐ頭を支配されちゃう。心はいつでも正しいとは限りません。心が間違うことはある。


 ...長々と何を語ってるんだかって感じですけど、何を言いたいのかって言うと、今日俺が小学校を訪れて色んな話をしたり、キックベースしたりして子どもたちと触れ合うことによって、子ども達の「自分とは姿が違う者」に対する抵抗が少しでも弱まって、偏見とか差別意識のない人に育てば良いなぁってことです。きっと今日のことは次第に忘れていっちゃうだろうけど、潜在意識の中で何か良い働きをしてくれることを期待してます。




 今日の言葉/


これから先、たとえ俺がどんどん落ちぶれていっても
子ども達のために、先輩としてよい道をつくっていく
そんな大人であり続ける


未来をつくる子どもの尊さを忘れないように
尊さを忘れないような環境に
いつもいるように


(2004.11.5)