今朝のココア

こんな日々を愛おしく思って

プライド。

chocoan2005-11-02

 先日、と言っても結構前だけど、友達がブログにプライドのことを書いているのを発見した。
自分のプライドが高すぎて嫌になる、みたいなことが書いてあった。
その気持ちとってもわかります。
俺もプライドが人一倍高いから、
人に非難されるのが大っ嫌いだし、
自分の間違いを認めないことがとっても多い。
ちょっと昔の話を載せます。


 小学生6年生の時、俺は人をイジめてた。
ある友達をみんなで無視したり、仲間はずれにしたり、
影でコソコソ悪口を言ってたり...。
それだけではなく、その行為を正当化してる自分がいたんだ。
『あいつの性格が悪いのがいけないんだよ。
俺らはあいつに性格を直すチャンスを与えてるんだ。』
って。
俺が今こんなガキを見たら、ぶん殴ってるだろうけど、
それが自分だったんだよね。


 中学生になって、たぶん色んな要因がからまって、
俺は正義感が(もの凄く)強くなった。
人より色んなことを、特に哲学的なことを考えるようになった俺。(人生の転機。笑)
中学3年生の卒業まじか、何かの実行委員でみんなの作文を読む機会があった俺は、
ある子の作文を読んでショックを受けました。
『俺は卒業するのがとても嬉しい。なぜなら〜たちクソヤロウどもと毎日会わなくてすむからだ。
あいつらの行動ひとつひとつが俺を苛立たせる。』
その子は他のクラスの子なんだけど、その子と同じクラスの子たちにイジめられてるのは知ってた。
小さな中学だったし、トイレとかでその光景を見かけたから。
こんな気持ちで卒業するなんて悲しすぎる。そんなことを感じました。
んで、そん時の俺は、一人の行動ひとつで世界を変えられると信じてたもんだから、
なんとかイジメをやめさせようと考えた。
で、考えた作戦が二通り。
1.いじめてる奴を殴りにいく。
2.いじめてる奴に頼みにいく。
うーん、1の方が簡単だとは思ってたんだけど、そこで頭に浮かんだのが、
『それで俺の気はすむけど、なんも解決に繋がらないんじゃない?』
ってこと。
んで、2を決行した。


 って言っても、俺はもちろんビビリまくり。
いじめてる友達のことは小学校から知ってるけど、中学になってからは仲良くなかったし、
「あの人をいじめないで」って頼みに行く行為が変だってのは明らかだったし。
でもある日、その友達たちだけがいるとこに会った。
これ以上ないチャンスに、俺らは散々悩んだ結果、言った。
誠意を示せばやめてくれるって信じてたから、土下座しようとまで考えてた。
ってか半分した。(苦笑)
これであの友達が辛い思いをしなくてすむのなら...、ってな偽善的な考えが頭の中で回ってた。
「わかったからやめろよ」って言われたとき、俺は半泣きだった。


 その後帰って家に着い時は大泣きだった。
なんで悲しいのかわかんなかった。なんだかとってもくやしくかった。
でも、あとで気づいた。
『あ、俺プライドあったんだ。』って。
俺はプライドなんてもんは持ってないつもりでいて、
他人のためなら土下座なんていくらでもしてやれるって信じてた。
けど、俺実はプライドがあって、
ほんとは土下座なんて、
人にものを頼むことなんてかっこ悪いことしたくなかったんだ。
そんなことを気づいちゃった。
その頃憧れてたマンガのヒーローには、なれなかったんだなぁ。


 その時気づいた後、謙虚であるように心がけたけど、
だんだん・だんだんその心も失われて、
今の俺はやっぱりプライドが高い。
今の俺は、もう他人のためにたとえ偽善でも、あんなことできないだろうなぁ。


 今日の写真/海辺に向かう途中